犇めく、離る、寝苦しさと息苦しさ

夢のなかにいるような生活が続く。

はじめは違っていた。自分の身体を使い、アタマを回し、自由であった。どうにかその日暮らしを続けられていた。だんだんと気持ちが荒んでくる、眠りは浅くなり、夢現の生活が始まっている。こういうときにしか手を動かせないのかもしれない、不調は制作者にとって重要な要素に思える。

まあ、それはそれとして今月はずいぶんと幸せに生きている気がする。ずっとむかしから先の予定を立てられずにいて、その理由を考えていた。ぼくにとっては明日はなく、つねに今、あるいは今日しかあり得ていない。生き急いでいるのかもしれない。いつ死んでもいい、気持ちだけならば死ぬことを受け入れられているような気がしていて、たとえば今このとき、この残念なブログを公開できずにくたばってしまったとしても良い。

20になってからのこの5年間、つねに希死念慮とたたかってきた。最初は社会への反抗、両親への反抗だったのかもしれない。今はどうだろう、もう少し包み込まれたような、自分自身のために消えていきたい。

にんげんは意外とパッと消えてしまう。昨日までいた奴が気軽に死んでいく。それをどうこう思うことは今更ないけれど、おれもそれくらいの気軽さを持っていたい。

明日のことを考えられないおれは、今日の時間がある限りタスクをこなし続ける。たぶん無理をしなくなった時が倒れ時なんだろう。ずーっと過剰さを抱えてやってきている、バランスとは程遠い。生の実感を手放しつつあるようで、気持ちがよくなっている。もうすぐ離れられるのかなあと思いつつ、ぼんやりとしている。