静夜思
床前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷
「静夜思」(李白)
以前にこんな記事を書いた。ぼく自身にとっては過去の鎖から放たれるような気持ちで、今もまだその放たれた部分を持て余している。
ここ何か月のことを思い出してみると、楽しかったり、幸せだったりという記憶が蘇る。良いものばかりではない、自己嫌悪するようなものもある。それでも幸せな記憶が多く占めていて、ぼんやりしているといい気持になる。
引っ越したのもあって、日当たりのいい部屋に住み変わった。椅子も机も新調して、カーテンも初めて買った。レースを買っていないからそのまま窓を開けると道路から見えすぎる、そのうちレースカーテン買ったらちょうどいい暖かさの位置になるような気がする。
ここ最近、引っ越しや転職でバタバタとしていた。なし崩し的に住んでいた町、なし崩し的に、逃げるように出た会社、自分の負の部分を少し清算したような気持ちになる。体力的にはかなりきつく、不手際で1週間弱のあいだ陽の光だけで生活したり、ごみ捨てで大変な思いをしたり。嘆きながらではあるけど、引っ越せて本当によかった。もう当分引っ越すことはない、新居でだらだらと生きていく。
仕事ばかりしてると、人間的な部分がどんどん欠けていく。30歳までの人生しか見えなかった頃は労働で摩耗することも厭わなかったが、少しずつバランスとって働いても良いなと思える。もう少し仕事以外のことを見てみたい。
仕事はロジックの部分が大半を占める、ロジックじゃない部分は普通の社員ならやる必要がない。誰が得するとか、この利益にはこれくらい必要だとか、端的に言えば頭をそんなに使わなくてよかった。その意味で、自分の意見を持つ必要がなかったし、仕事の大義名分で自分を納得させればよかった。「仕事だからやる」というだけで充分働けた。
あるとき、それがあまりよくないと教えてもらった。それはつらいと。そうかもしれないと見つめなおすと、一気に疲れがやってきた。知らない間にため込んでいたのかと涙が出た。
どこかでガタが来る生き方をしていたのかもしれない。これも少しずつ改善が必要。
でもここ最近は、とても幸せだ。幸せだから、これからのことで迷うことができる。地盤が無ければ、たぶんぼくはまだここに立てていない。