つまらなかった本を読んだ

今日は珍しく山手線の西側まで出かけた。

在宅ワーカーだからなのか、小一時間歩くまでもなく足裏に激痛が走って立つのもままならなくなるようなことが半年くらい前からあった。
面倒だと後回しにし続けていたのだけど、半ば強制的に表参道の足専門のクリニックに行くことになった。

6,000円ちょっとかけて結局原因はわからなかったのだけど、自分で「かもしれない」と思っていた偏平足はまったく問題なく、外反母趾もそう呼べるには軽症のようで、足底筋膜炎かもしれないという結論になった。

やっぱりネットは便利なので、ぼく含めていろんな症状や病気の「かもしれない運転」がとてもうまくなっている。でも、その運転でわかることは沢山の気を付けたほうが良いことリスト(運動したほうがいい、歩いたほうが良い、マッサージしたほうがいい、食事に気を付けたほうが良い、靴はインソールを買ったほうが良い)を徒に増やすだけであって、自分事としての解決にはあんまり近づいていかない。
その意味で、たしかに明確に問題ないことがわかったのは良かった気がする。

あまり本屋でたくさん積まれているような本は買わないのだけど、冒頭ぺらぺらとめくっていたら「リモートワーク」「移住」「効率化」みたいなことが書いてあったのでこの本を買ってみた。

 

じぶん時間を生きる TRANSITION

 

先に書いておくと、あんまり「読んでよかった」となる類ではなかった。とはいえ自分の状態と重なる部分はあったので、読書記録としては残しておく。

2020年ごろコロナによって多くの業種でリモート勤務が実施された。ぼくもその頃にリモート勤務に変化した類になる。
このリモートというのは以前から「できるのでは?」と思っていたであろう従業員たちの気持ちを国家命令というトップダウンにて実施されたものになる。やるのか、やらないのかという2択ではなく、やって同時に形も整えろというスタートアップやベンチャー企業のような状態だったと思う。

紙で管理していた顧客情報などの台帳や契約書はGMOサインやクラウドサインのようにデジタル化され、打ち合わせはZOOMやMeetになり、社内連絡は対面やメールの状態からSlackやChatworkになり、手元のExcelで管理していたシートはスプレッドシートなどのクラウド上に乗っかり、自社サーバーが一部無用になったためクラウド化や自宅への光回線が必要になったりと、変化への適応と新しいビジネスへのチャンスがたくさん生まれた時だったように思う。

コロナのピークを経て、その運用に耐えられた企業はリモートを(一部でも)残すことに成功し、耐えられなかった企業は出社に戻り、そもそもの利益から遠のいた企業は廃業せざるを得なくなった。
ぼく個人の考えとしては、コロナというものを体験したあとに立ち上げられた企業は「出社をしなくても良い仕組み」という運用(Ops)を前提とするので、営業から財務会計に至るまでのひとまずをスモールスタートさせることができるので、うまくいきやすい気がしている。逆に場所という側面が炙り出された企業には、なかなか耐えられない環境でもあったような気がする。

ぼくはいまフルリモートで仕事をしていて、オフィスなんて1度しか行ったことがない。フルリモート最高と思っていたが、働いてみるとギチギチの打合せ、鳴りやまないSlack通知、プライベートと仕事の切り分けられなさなど、特別な要素がわかってきた。
ただし人と会わなくて済む、起きる時間はわりと幅があっても良い、スーツを着る必要がなく靴を履く必要もなく、ジャケットさえ羽織れれば良い、Amazonの荷物はいつでも受け取れるというメリットもたくさんある。
つい最近ではBOSEのスピーカーを買い、打ち合わせ以外では音楽を垂れ流しているのもQOLを上げる要素になっている。

特に問題になっているのは結婚もしておらず、特に趣味を持っていない時分が「仕事に集中できてしまう」環境で働いていると、ワーカホリック気味になってしまうところだろう。
体調を崩さないくらいに働きづめてもよい、仕事を終えたあとの自分に虚無的な部分を抱えてしまうというくらいには浸食されてしまっていて、ようやく「あ、人とは会わないとこれは腐るな」と思ってきたところだ。だから月に1回~2回くらいはなんとかほんの少し外出して、人込みには触れておくようにしている。

ただ同時にすこしローカルな場所へ引っ越すのもありだなと思っていて、光回線が通じていてAmazonプライムの配送スピードの価値がそれほど薄まらない(1/3とかだとさすがに解約したい)場所なら引っ越しても良いような気がしている。

GoogleMapを眺めてみる。

都道府県名が映らないので沖縄、東北~北海道は入っていないけれど、ぼくは「山より海が見えたほうがうれしい」「万が一移動するときの交通網や鉄道は簡便な形であると嬉しい」ということを考えると、静岡あたりはよさそうに見える。時点で富山や石川などもよさそうに見える。

試しに富山県で賃貸相場を見てみると、1LDKで4万~5万なので築浅、駅近を選ぶと7万くらいだろうか。海が見えてライフラインが問題なく仕事ができ、今より広い部屋でありつつ家賃が安いなら充分満足度が高そうにも思える。

それはそれとして、仕事を終えた瞬間の「自分だけの時間」にまだまだ苦痛を覚えてしまう状態であるときには、自己発見としてトランジションというものを試すチャンスがあるようだ。

 

www.kaonavi.jp

 

なにかを止め、空白・中立状態から志向性を浮かび上がらせ、新しいことを始めるという3段階プロセスだ。
ぼくのような凡人かつモノワーカーには、ハードワークをこなしながら平行して新たな道のステップを踏むような器用なことはできないのだけど、確かに仕事を辞めた瞬間~無職期間というのは本当に自分のことを見つめられているような気がする。

誰かに見られている、何が稼げるスキル・場所なのか等ではなく、無限に感じるこの期間でやりたいと思えることを生成する期間であるというのは確かなことであるように思う。特にその中で重要なことは「何かを辞める・あきらめる」ことと「空白状態の時に人に会う」ということと思われる。

まず辞めるというのは簡単ではない。ぼくのようなワーカホリック、あるいは何らかの依存症状態の人たちは「自分で自分のコントロールができている」という「否認」状態であるという(このへんは下部でGPT-4に聞いてみた)。
そのため急に辞めることはできず、自分の状態を客観的に認識できている状態(認められるというのが大事)であることが前提となってくる。
次点で、空白期間のあいだの揺れ動く期間に「どこかコミュニティに飛び込んでみる」ということも重要だという。空白期間を本当に孤独に過ごしている場合、自分の認知や関心が主観レベルで終始してしまい、周囲の人たちに形づけてもらう機会を失ってしまう。考え方次第だが、最初から最後までひとりで考え続けることと、人の声を浴びた状態からひとりの状態を作り出すということでは、効用が全く異なるように思える。

これは偏見なのだけど、この手のビジネス書で「本当の自分」というものを主題としている作者の人は、ぼくの読んできたものの中では多くの場合は結婚していたり、子供がいたりというケースがほとんどに思える。
空白期間の時に「それ、やってみたら?」という機会をくれる人が身近にいるということは、新たなコミュニティに属すことと同じかそれ以上にきっかけを与えやすいのかもしれない。

 

ぼくの読書メモと思い巡りはここで終わりになる、何か結論を得たわけではない。

ただし、確かに何かを辞めた後の空白の重要性は体感し、その後の志向性を露出させるために人との関わりはほとんど間違いなくいまのぼくには重要なのだろう。
ということはその手段がわかっていれば、苦しいときには「何かを断ち切り、時間を持ち、誰かと話をする」というプロセスを経ればよい。

方法を知っていることと、今それを実行することはequalではない。

その時までは、苦しみながらでも楽しそうなことを言葉にし続けるだけだ。

 

【読書メモ】

  • 依存症の特徴は「自分で自分をコントロールできていること」らしい
  • 引きこもりなどの境遇の子どもが同じようなバックグラウンドを持つ人たちとひとつのコミュニティでつながり「あのひとは○○が好きな人だよね」と言われると社会復帰のきっかけになるらしい
  • ニュートラルゾーンにいるときには人とのつながり、会うことは重要。
    • この手の「変化した・チャレンジした」という経験を持つ人は、主観的にだけど結婚していたりすることが多い気がする、調べてない
  • 突然目の前が彩られることなんてない
  • 目新しいことは言われていない
    • 形式上のものや目前のものではなく、内面的な志向性とは?という話だったり
    • それがコロナ禍というほぼ全世界に同時に訪れた一種のニュートラルを機とし、自己投影しているような感じ