生活力が無さは人間性の欠如って話と仕事の話

うまく寝れず、妙な時間にばかり目が覚める。生活に関してはかなり堕落しているにで、まったく健全ではないししょうがないかなと。炊飯器とか、布団とか持ってないし、一部屋電気無いとか。あまり人らしい生活はしていないかも知れない。

習慣になっていることに関しては、本人の意思から外れたところにあるけど、その習慣にしていくまでは結構やる気とか、継続とかが必要になる。そういう意思みたいなのはどこからやってくるかと言えば、たぶん当人なりの正当性なのかなと。その人は、周囲が多少そこにルーズでもやり続けようとするだろうし、そういった継続をするための拡張は必然的に、日々続けることになってると思う。

 

最近、自分にしては仕事を頑張ってしまっている。仕事の向き不向きの話はあまり考えたことは無く、拡張性の高い仕事をガンガンやってけば何かしら残るでしょうくらいの感覚。ただ、今の仕事はたまたま、自分のいい加減さと、何故かそれらしく見てもらえる両方のバランスがあってうまくいってる。どこに吸収されたかわからないお金などもあったりで揉めたりしたが、まあ一過性のものだから問題ない。

社会人になっていつの間にか4年目になるが、最初はそれらしく、働くことで何かを為したかったような気がする。すべてを労働によって叶えたかったようだけれど、いつの間にかそれが無理であることを悟ってしまった。今年働くことさえ正直億劫なのに、あと数十年も働くなんて気が狂ってしまう。それは避けたい。

だから、なんとか自分を誤魔化し、騙しながらやりきっている。けれど、仕事は仕事で稼ぐことが出来るわけで、お金があれば結構いろんなことが出来る。そのためにお金は持っておきたい(好きだし)。騙し騙しやっていると、自分の心身的な本質はさておき、仕事に対してのモードが出来上がってくる。気合ややる気がなくても、多少のことはどうにでもなるし、しっかり取り組めば少し難しい案件でも結果的に乗り切れる。終わってしまえば、あとは糧にするのも、忘れてしまうのも良い。ぼくは、良いことも、良くないこともすぐ忘れてしまうのでいい体質に生まれた。笑

 

去年は、いろいろあって苦労があったけど、今年は稼ぐ分は稼いで、余った時間はもっと広く遊んでみようと思う。遊んでくれる人をいつでも探してます。