あたりまえのこと

ぼくは言うほど貧乏ではなかったはずだけど、それでもまあ上京をしてからはお金に困ることのほうが多かった。それに、頭が本当に悪かったので

収入≦支出

になると生活が死ぬことがよくわかってなかった。本当に、それでも何とかなるものだと思っていた。ぼくは小学生でも知っているような社会の仕組みと別の枠組みで生きていると思っていて、あの頃はすごくキツかった。ふつうは、生きててかかる支出を最初に計上しておいて、そこから余暇にかける費用、使える額を持って外に出る。少し考えればわかるのに、あの頃の自分は狂っていたと思う。こういうのを「報酬系が弱い」と言うらしい。

今は多少マシになってきて、なんとか生活を成り立たせるレベルにまでやりくりできるようになった。けれど、これは自分の仕事が毎月反映される成果報酬型だからこそ成り立っているわけで、固定給だったら破滅していたと思うと、運が良かったと思う。けれど、こういうギリギリをいつも綱渡りしているような気がしていて「もうこんな思いしたくない」と言いながら、また繰り返すような気もする。学習しない生き物もいるということですね。

ところで、いわゆる鬱的な感情はどこから来るのかと2年くらい考えていた。どこかでは、ビジョンの無さと叫ばれていたり、もしくは学校教育の影響だと言われたり、もしくは育ってきた環境に左右されるものだと言われたり様々だった。ぼくも良いようにそこに揺さぶられながら、いろいろ思うことはあった。で、まあ、結論は「(ぼくの場合)お金がないこと」だった。

日本あるあるなのか、どうもみんなお金の話を煙たがる傾向がある。ぼくは家庭でもそういう感じだった。みんな高収入の人を羨むくせに、別に自分が何かやってるわけではない。そして稼いでる人には群がっていったりする。あと何より、お金で買えないものがあると本当に思っていそう。たぶんそれは誤魔化しなのだろうけど。

ぼくもそれなりに、そういったお金に対しての嫌悪を持ちながらやってきたけど、ふつうに嫌っていようが、何だろうがお金はかかってくるので無理だった。お金がなければ本は買えないし、猫も飼えない(飼うべきでない)し、美味しいご飯もお酒も飲めないし、異性をデートにも誘いづらいし…今日を生きるすべばかり考えて、ほんの少し先のビジョンさえ描けないし、病院も行けないし、対人関係に余裕がなくなるし…いやなことばかりだ。

そうした中、仕事がうまくいって今までの10倍くらいの給料を貰う時があった。そうしたら、単純なもので、昨日までの悩みはほとんど全部なくなってしまった。代わりに、恒常的な実存への不安とかは残ったけれど、それを天秤にかけるなら、絶対に不安のほうがマシだと思うほどだった。結局、自分の認知リソースは限られている中で、金銭の不安は生活そのものへの不安になる。そんな中良いパフォーマンスなんて発揮できるわけはない、だから稼いでおいてよかった。

ところで、お金がなくてキツかった頃は100万や200万あれば人生が変わると思っていた。バラエティでも何百万の報酬とかを見て「おぉ~」なんて思っていた。ただ、実際のところ、100万程度で出来ることなんて大したことはない。本当に。

ちょっと一山当てて、社会から脱落した人にロクなのがいないのは、資金を運用する方法も、マーケティングも、対人関係のスキルも、生活の基盤もないままにお金を手にしてしまったから起こっているような気がする。それならまだ、当たらないほうがよほどマシだと思う。結局のところ、自分のスキルやナレッジを磨いていかなければ、100万や1000万程度なら手にしないほうがいいと思う。たいてい破滅するので…。

(ぼくだけの話だけど)で、まあ、お金をある程度自分のスキルで得られるようになったら、今までの悩みなんてたいていなくなってしまう。そういう”本当のところ”だけど”当たり前のこと”に気づくことができるようになったのは、なんとか生きてきた甲斐があるというもの。人生余裕って言ってた誰かさんの気持ちが、少しわかる気がした。