コミュニケーションとチューニング

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(+M)

起業で重要なのは、抽象度を上げてビジネスモデルを捉え直すこと。現在このようになっている具体的なビジネスを、そのオルタナティブな可能性も含めて、ゼロベースで捉え直すということである。ビジネスを前駆体まで戻したところで掴んで、そのうえで「育てなおす」のである。

(須藤さん)

寝子くんだったら起業を創作に、ビジネスを作品に、前駆体を言語阿頼耶識かiPS細胞へ置き換えればすぐにわかるかもしれません。受胎することは神の領域なので、その直後の「あらゆる(発達/発展の)可能性を含んだ状態」から考えるということ。

 

 

今日こんな話を須藤さん(かれこれ3年前後経つけれどこの人は何者なのかいまだによくわかっていない)にこんなリプライをもらった。ぼくの18歳以降の節目は、3人くらいの大人に左右されていたりするので、大事なタイミングで積極的に頼るようにしている。

最初のMさんのツイートに対しての解像度は低かったが、その下の須藤さんのリプライで解像度が上がった。後述する内容だが、相手の解像度を上げる作業、または相手と同じ土俵で会話をすることがコミュニケーションであるらしい。それは、言われてみれば自分自身もそうできるように体得しているように思う。

 

(須藤さん)

コミュニケーションの基本は「相手の言葉と価値観で話すこと」だと思う(きっと営業はその最たるものでしょう!)。だから、逆に限定された人にだけ話したい時は、いわば文化的方言を使うわけです。

 

この感覚は1年ほど前から大事にしている。今までは、自分は伝える能力が高いとうぬぼれていたのだけど、どうやらそれは間違いだったらしい。円滑なコミュニケーションは、相互の立ち位置を垂直方向、高低的に認識していると間違ってしまう。

ではなくて、文化圏としての差異というふうに認識していくとうまくいくようになる。今は営業という仕事をメインで行っているが、とくにそのことを強く感じる。売れる人間は、ギア合わせがうまい。ギア合わせというのはもちろん知識量に左右されるものではあるが、相手の現在地を知り、そこに自分をチューニングして持っていく必要がある。

その幅の広さが、所謂「営業力」とか言われるものになる。ぼくの場合は営業力と呼んでるものなので、ここではそう呼ぶけれど、営業力という中枢を挟んでいればこちらがわの本当の姿などは、ほとんど関係なくなる。それがないと、わりと自分そのままの姿でいろんな人間と関わらければならない。そうしたいのであれば、それでもいいと思うけれど、ビジネスするなら絶対に営業力は必要になってくると思う。

そのチューニング行為を、自分の姿から乖離していて苦しいと思うなら、たぶんそうしたやりとりはやらないほうがいいと思う(自分に対しても)。