空の蒼さ・空の昏さに溺れそうになる

私たちと地続きの、おなじ現実を生きてきた彼女にしか、見えないもの、言えないこと

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希望のような物語が苦手だ。
もっと力を抜いて適当に生きていてやろうと思うのに、この身体は強張り、うまく動いてくれない。いつの間にか漂う空気が薄くなり、呼吸が難しくなり、どこでもないような場所で溺れそうになる。

この生活にはずっと絶望が流れている。それ自体はもうどうってことはない、自分の求めている救いや癒しを形にすることも出来ず、慣れたような表現によって、見知った自分を形容する。自己否定的な表現が自分を更につくりあげる。半ば諦めつつ、ただし諦めていないこころの志向性によって地に足を付ける。生活を続けるなかで自分が自分から離れてゆき、二面性・多面性を帯びてくる。自分であることを半分投げ捨て、半分が舞台役者になる。こんなに自分一人ではだめだとわかっているはずなのに、また自分を諦められていない。

 

自分を構成する要素は、今は殆ど無いが実家へ対する憎しみと、仕事と、色恋沙汰のみっつ。閉塞的な感情を育まされた実家、頭でっかちをたたき割ってくれた仕事、終わったものからもまだその頃を拾い続ける色恋沙汰。数年にいっぺんでも京都に帰ると、当時の苦しかった記憶が呼び起こされる。あの頃の自分を正当化するためについた嘘、そこから逃れるために吐いた血を思い出す。

欺瞞だらけの自分は随分頭でっかちで、なんだってできる、なんでもできる、何でも知れると思っていた。そういう自分を殺してくれたのは仕事だった。「お前自身ではだめだ」といことを暗に伝えられるづけるような日々、自分の考えが仕事に於いての正解からどんどんかけ離れていくのは得難い経験だった。自分を活かすとかいうひとつの理想論は、目も当てられないような泥臭い作業の上にしか成り立ってないということを教えてくれた。でもそれは逆に、友人が持つ現在の後ろ側にある、傷つきながら進み続けた姿も教えてくれた。

自分にとっての恋愛は常にあらゆる終わりに向かっていて、破滅が見える。いや自分にとっては恋愛とは破滅に向かう行為であり、自分の生活・記憶の中に他人を迎え入れる行為なんだろう。願わくば恋人に溺れたい、そして一緒に死んでほしい。どういう風に死ぬのが綺麗か、なんてよく考えていた。相互依存的になることばっかりだったけど、相手の世界に飛び込んでる以上それも仕方なかった。しかしまあ、他人から見た歪な関係というのは当人らからすれば完成した世界なんだろう。

「その人さえいれば生きていける」というのは嘘だと思うが、その人がいなければ自分が成立しなくなることは起こり得る。そういう居場所を探している。

ふらふらとしていたらこんなところまで来てしまった。手ぶらだったはずなのに、いろんな感情とともに手が空かなくなってくる。ひとつずつ落ち着いて荷物を置いて、また旅に出てみたい。ああでも、旅をするならだれかと一緒にしてみたい。旅はいいかもしれない、歩くのが嫌いでじっとするのも嫌いで散歩も旅行も全然しない。話をすることができれば退屈しないし、楽しい。スマホなんてなくとも相手との世界がそこにあり、全部の時間が愛しくなる。そこで終わってしまってもきっと素敵なものになる。

ふたり旅、楽しそうかもしれない。

「私」と「君」、関わりたい部分

そのひとの部分は言葉に現れると信じている

ぼくは比較的言葉によって自分をつくったり、だれかと関わったりするので、言葉の立ち位置が重要になっている。過度ではないにしても、一定以上はその人がどんな言葉を使っているかということでバックグラウンドや、今の状況をあらわしているというふうになるんじゃないのだろうか。

そうはいっても、感情の過剰な部分、その溢れた部分が食に流れたり、睡眠に流れたり、消費に流れたり、創作に流れたり、表現に流れたり、自傷に流れたり。ここで自傷というものが出てくるのは自分らしいなと思うけれど。言葉による自傷、肉体的な自傷、どちらもある。

ぼくは、なんだか言葉に流れることが多いから、言葉をもってしか誰かの理解に努めることができない。その人を眺めながら、言葉を交わしながら、その人の像を自分の中につくりあげていく。文章コミュニケーション、ぼくは削ることができないのでなるべく全部を書くか、当たり障りのないことを書いてしまう。ほんとうだったら、一緒にいられるその時に言葉を尽くしたいなあと。自分が思っている以上に、その人に対して言葉を尽くそうとしていて、ほんとうは全部書きたい。本当はね。

文章を長くするのは得意なのに、文章を短くするのが苦手。言葉を多く尽くすということが必ずよしというわけではない、クリティカルさというのはちょっとした言葉を自分に引き寄せるときに現れることもある。いま書きたいのはそういう言葉かもしれない、そうはいっても言葉を尽くしたい自分はいるので、うまく付き合ってみたい。それにしても、自分にクリティカルさを持つ言葉をふと見つけたときに、それこそ自分に対して引用をしたいような言葉を見つけたときに、その言葉を放つためにどれほどの時間、苦しさを持っていたのだろうと想起してしまう。そこからは事実かも知れない、所詮妄想かもしれない。ぼくらは、自分たちの目の前に現れたものを持ってしか判断できないから、現れたものを分析する。あってたり、間違ってたり、本人がわからなかったり。

そういう後ろ側を美談のための燃料ではなくて、ほんとうの届けたいもののために見つめていく。誰かと話すとき、そのひとの本当の部分はどこなんだろうと、内側を見つめている。

使う言葉の文化圏、わかりあえなさ

どこかで話が合わなかったり、闘ってしまったり、説明されても理解ができなかったり、仲の良さや付き合いの深さとは別の方向で「分かり合えなさ」がある。たとえば仲がいいほど、付き合いが長いほど、相手が好きなほど、その相手の理解に努めようとする。でも、時々どうしてもわからない、理解できないことが顔を出す。
うまく言葉にならないであろうそれを、一生懸命に聴こうとする。でもわからない。大事そうなのに、聴いても聞いてもわからない。

一定の深度まで至った考えや思想は、それまでの言葉を変容させてしまう。じっと、いや活発に考え続けるほどに、自分の苦しい部分、どうしようもない部分が言葉になり始める。その頃には、その出てくる言葉たちを自分が許せるかどうか、自意識の境界にある。そこを少し超え始めると、受け入れた上でより身体に馴染む言葉を考え出す。それは自分で生み出してしまうこともあれば、どこかも分からない場所、よく知りもしない本の一節にあらわれたりする。その衝撃は、自分を変える。そしてまた、自分のどうしようもなさが新しい形で、自分のモノになっていく。

そこまで深さを得た言葉は、もう違う文化圏の人たちには伝わらない。その世界から遠ざかって、ひとりぼっちになる。でも、その言葉を発し続ければあるとき気付いてくれる人が現れたりする。そういう人は絶対に大事にしたほうが良い。いや、大事にしなくたって関わらざるを、影響し合うことを避けられないのだけど。

掘っていった自分のその部分が大切であるほど、今の世界から離れていく。伝わらないという断絶が大きくなり、代わりに新しい場所を用意してくれる。そういう分かりあえなさを自分への責に帰結させず、ただ眺めてやる。何かを用意できるわけではない、きっとわからない、そういう分断を含めて受け入れる。いつか届く、届くころに自分が生きているかもわからない。分かり合いではなく、未来の誰かを孤独にしないために、自分の言葉を吐いているような気がする。

ぼくの言葉も、いつかどこかで、誰かが救われればいいなあ。そういう愛、認めなくなかったけど持っていた。

「君」に関わりたい

社会に属していると、自分が薄れてくる。自分ではなく組織、私ではなく私たち、あなたではなく皆様、主語は大きくなり、フォーカスも途方もなくなる。個人を承認することや、その個人を知ろうという意思が社会から外れてしまう。そういうものを不足させて精神が壊れてしまう人を見ていると、どうして自分はその人を助けられないんだろうと感じてしまう。こんなに人を褒める事が好きで、下手だけど本当のことを伝えられるのに、その場所がないことがたまに苦しくなる。全員を救うなんて思ったことはないが、それでも友達や、好きな相手くらいには使いたい。

どうせ当面の間、もしかすると一生、自意識から逃れられないかもしれないなら、「みんな」ではなくて「君」に関わりたい。欲深いので、言葉を尽くして語りたい。「私」と語るその羅列、そういうものを聞き入れていきたい。馬鹿らしいことも、今できないことも、本当はやりたかったことも、実は苦しかったことも、個として抱えてきたものたちを少しずつ放ってほしい。笑いと、時間と、場所と共に一旦ぜんぶどうでもよくしよう。明日じゃなく、今日の終わりに前向きになろう。

死ぬまで自分であるという苦しみ、ぼくが抱える根本はそれだ。そして時間という途方もなさ。お酒とか、煙草とか、スポーツとか、会話とか、音楽とか、温泉とか、勉強とか、セックスとか、執筆とか、写真とか、コスプレとか、仕事とか、なんだっていいけど、その場限りを満喫しよう。

 明日を嫌悪して朝まで眠れず、時間が過ぎた苦しさで涙を流したりして、それでも今日を過ごさざるを得ずに今日の何かをやる。明日を遠ざけ続けるしかできないけれど、「君」に現れるものをもっともっと知りたい。

こうして考えてると、自分が慈愛に満ちているということに苦しくなる。まあでも、出来るならばやる、できないならば様子を見つつやる、それの連続ばかりだったなあ。

理想の終わり

終わりなんてきっとすぐ来ないだろうが、終わりばかり考えてる。悠長さが許せないのかな。厭な感情はこれまで散々書いてきた。

いつでも、一緒に消えることが出来る相手を見つけたがっている。ああ、もうここでいいなって、いろいろあるけどここがいいなって思えるような相手、場所を探している。そういえば、そこになんだか近づいてるような気がしてる。

毎日笑っていて、楽しくて、そういう面を持っていることと消えてしまいたい自分に差はない。自分がいちばん美しいって思える終わり方、笑いながら消えることが出来ることを最近さらにまた考えている。そんときは色々とごめんだけど、まあ笑っておいてほしいなあ。

笑顔、切り取られた瞬間、その救い

この頃、「笑うこと」に近づいている

 いろいろな人、これまで関わらなかったような人たちとの出会いから、自分が誰かの笑顔がとても好きらしいということが発覚した。

※今回ことばを残すに至った記事、思ってることが書いてる

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まず大前提として、自分で言うのもやや腰が引けるが、ぼくは結構面白い。自分の中でも固まっていないことを言葉にしようとしているので、もしかすると結構違うかもしれない。自分の中を追っている。

ぼくはあまり誰某問わずとも、話していて自分が笑顔になることができる。そしてまた、その誰某を笑顔にすることができる。当然だけれどぼく自身が面白いというより、いや自分一人ではその辺の人間なんだけれど、誰かと自分というその空間においてその空気を自分のものにするのが凄く得意。

自分自身、人誑しか?と思うことさえある。自分の癖や能力の発揮っていうのは、その場所、コミュニティにおける自分という個体の異質さから発されるような気がする。その場において、その空間の一対一において特殊、そしてその一対一の仮想的な空間のなかで相手に安心してもらいやすい。今のところ、自分に対しての認識ってこんな感じ。

そんな空間のなかで、いろんな人がその人の「笑顔」を見せてくれることが多い。狙ってはない、むしろ自分からその人の笑顔に近づこうとしているような感覚。その時々の瞬間に、その場だけ自分が救われるような気がする。その救いは、その時々にしか顔を出さないけれど、ぼくを蝕んでいく。延々という瞬間、ここで終わっても良いと思えるような特別な空間、ますますその瞬間に触れることが増えてきた。

引き伸ばされたその瞬間、笑顔の効能

相手の笑顔というのは、自分をその場で救ってくれる。冗長的な今が苦しくてたまらない自分にとって、その笑顔というのは一旦まるごと救ってくれる。

これまで人の笑顔というものを、何かに残すということがあまりなかった。写真というものを誰かに向けることがなく、いつも空とか、海とか、木とか、猫を撮っていた。
空を撮るのが好きだ。空はいろんなものが詰まっている。考え事をするときに、あまりに思い悩んだ時に、ぼくは上を見る。それは上を見てるんじゃなくて、その先にある空を眺めている。亡くした友人の悼みも一丁前にあらわれてくる、奥さんを亡くした写真家はそれから空ばかり撮っていたらしい。自分の見つけたい答えも、欲しいものも、戻ってこないものも、ぜんぶが空にあるような気がする。青、白、あるいは黒の空は自分を呑み込む。空は自分を今から手放す、中身を全部持って行ってしまう。

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自分にとって、その逆に、笑顔というのは自分をその場に繋ぎとめる。自分が笑い、相手が笑う。あるいは、相手が笑い、自分が笑う。もしかすると、ふと一緒に笑う。その時々はあれど、笑いあったもの同士でしか共有されないその場所がある。その瞬間が幸せで、惜しくなってきていた。

瞬間を切り取る、自分にとっての笑顔の駐在

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笑顔というのはその瞬間、その場所、場合によってその人間関係のなかに完結する。けれど、笑顔という瞬間はその一時的なものであるゆえ、受け手も、話し手も幸福になる。その一瞬を切り取る写真というものを知りつつ、ぼくは誰かにカメラを向けることができなかった。

笑顔が好きらしいと気付いたのは本当に最近のことだけれど、誰かを撮るということのハードルは結構前から高かった。その中でも、誰かの表情を自分が撮るということがあまりにも難しくて、チャンスは多かったけれどずっと撮れずにいた。その時のさまざまな表情、作られた表情であることが自分の撮りたいものになんだか反しているような気がして、謎のプライドだけが強くなっていった。
瓦解した理由は、ただ表情の写真を撮ってみたというそれだけだった。「うまく撮れてるね」と言ってもらえて少し鼻を高くしながら、確かに自分で撮る表情というのはその場限りで、ちょっと切なくて、ちょっと下手な部分がむしろ自分っぽくて面白かった。自分が撮りたかったのは特別な一枚じゃなくて、自分と相手という場所の中にある日常の一部だったらしい。そこで、ぼくの特殊能力のような、なぜか相手がふわっと笑ってくれるような人間性がその表情を収めるという形の中にフィットした。

 

まだまだ数は少ないけれど、自分と相手のその場における笑顔を切り取るということに自分が救われている。たまたま持ってる、芸人のような話し方や、なぜか笑わせてしまうようなヒューマニティ、今はそういうものを持ちながら一番いい部分を攫っていきたい。

 

さいきんのこと、詰まらなさから常に逃れている

ぼくのブログ、どうやら未来かそこそこ過去のことしか書いてないらしい。言われるまで気づかなかった。確かに、いま起こっていることはすべてTwitterになるので、必然的に腰を落として書くようなものは過去のある部分か、未来のものになるのかもしれない。盲点だった。

丁度5月も終わりなので、5月こんなことをしてたって書いておく。

 

5月上旬、GW。
新しく始める事業の打ち合わせでホテル缶詰めをやった。おれが体調悪くしたのに強行して、地獄絵図にしてしまった。ごめんな。新しく何かをやろうって思ったとき、少しだけどアイデアがぽつぽつと出てくる。でもよくよく考えていくと、それってただのアイデア先行だなってわかってくる。コンセプトファーストのアイデアってのは、最初いろいろ思いつくんだけど途中から勢いを失う。必ず「これを自分が続ける意味」がわからなくなって、足が止まる。多産が必要なときはまあしゃあないとして、少しでも続けるならばアイデアは自分に聞いておいた方がいい。

『原体験ドリブン』(チカイケ秀夫)で言うところの「①ファッション」「②テンション」「③モチベーション」「④ミッション」というアレが想像しやすい。

 

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自分から出てくるアイデアを見てればわかるんだけど、出てくるアイデアの9割なんてファッションレベルだなって気づく。流行ってるものに乗っかってみたり、誰かのアイデアに自分の考えを垂らしたものだったり、どこかに転がってる問題を解決できそうな直観的なアイデアだったり。そういうものをじっと見つめてると、「ああこれは続けられないな」ってわかってくる。小手先じゃなくって、もっと自分が狂えるものがいちばんおもしろく、ユーザーは狂ってるもの、熱狂を生むもの、そこから応援したいものに投資する。アイデア出しってのは、詰まるところ自分をDigっていく作業なんだと思う。

そういう意味で、GW中やれたことってのはコンセプトを形に落としていって、意義とか意味ってのを自分に問いかける期間だったと思う。でも、本当にやっていきたいことはもう少し先にあって、形が出来たらいろんな人に紹介できるようなものになってくると思う。まだまだ準備期間、急ぎつつ、足元を固めていく。あ、こういう思わせぶりなやつってあまり人の心動かないですね。

GW終わること、身体が解放された後、めちゃくちゃ遊んだ。ぼくの遊びって手数が少なくて、最近だとだいたいがゲームになってると思う。近年、e-Sports界隈がいろんな人に認知されてきてる。
ぼく自身はずっと観戦者でいて、PUBG、R6S、CoDをずっと見ていて、国際戦なんかは本当に声出るくらいいつも楽しい。最近だと色んな配信者のお陰で、VALORANTの競技シーンがよく見られている気がする。その裏で、R6Sなんかも最近国際大会があったので盛り上がっていた。

サッカーとか野球とか、スポーツの国別対抗戦とかって全く見ないので、自分にとってはゲームの国別対抗戦で実況席が思いっきり日本を応援するようなシーンは一緒になって応援できるみたいでめちゃくちゃ楽しい。例外的に、自分はバドミントンを高校まで頑張っていたので、バドミントンの世界大会はよく見ていた。久しぶりにやりたいなあ。

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ぼくがゲームにハマったきっかけは友達の誘いからで、PCゲームの環境がなんにもないのでそういうのがそろった場所に遊びに行った。ちょろっとだけやるはずだったんだけど、びっくりするくらいハマっちゃって最初14時間くらいやったのかな?付き合ってくれた友人に感謝。

そこからは完全に沼で、最初は週末の夜から翌朝(というか昼)まで遊び続けることを続けていたけど、あまりの楽しさに平日にも手を出し始めた。遊び始めたころくらいから仕事の出勤テーブルが火曜日と木曜日の週2出社になっていて、その出社のタイミングに合わせて湯島へ遊びに行き、20時になったらそのまま大久保(ゲームできる場所)へ電車移動、21時くらいから翌朝7時くらいまでゲームをして上野で朝ラーメンを食べる。ぼくは自宅勤務なので上野解散、上野東京ラインで遠い神奈川の自宅まで帰り仕事をする。

最初はそんな感じで週末含めて週3くらいだった。だんだん勢いづいてくると、在宅勤務の月曜日の業務後に何故か湯島へ遊びにいき、大久保で朝までゲーム、朝になったら職場の日本橋へ出社、業務が終わったらなぜか湯島へ遊びにいき、友人と大久保へ足を運び朝までゲーム、朝になれば神奈川へ帰り仕事、その日の仕事が終われば再び大久保へ…という無限ループの可能性を開拓してしまった。いちばん酷かったときは、たぶん4月の4徹だったと思う。今まで徹夜を数量換算したことなんてなかったのに、あの頃は特に狂っていたなあ。

でも、楽しかった。明日なんて考えずに遊んで、翌日死んだ顔で仕事をする。そういう狂気があの頃の自分を支えていた。

今も含めてしっかりゲームにはハマっている。1日1時間だった大昔から、今ではしっかり6時間は見ておかないと足りなくなってしまった。なんでこんなに遊べるのかなあと思ったけど、まず大前提で一緒に遊べる人はめちゃくちゃ重要だなって思った。リアルフレンドかもしれないし、インターネットフレンドかもしれないし、どちらでもいいと思うけどとにかく教えてくれる人はめちゃくちゃ大事。そして、自分のペースに近いくらいで遊べる狂人も必要。ぼくの場合は特にそれが重要だったように思っている、多分だけど仕事終わってから朝までゲームしようって誘ったらほとんど断られると思う。翌日には仕事あるし。

おかしいことをするには、おかしい人とつるむのが凄く良いんだなあと気づけた最近だった。

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5月半ば、思い切り体調を崩した。やらなきゃいけないことが山ほどあったのに、なにもできなくなってしまった。昔はこんな頻繁に体調崩さなかったんだけどなあ、と思いつつ固形物が食べられなくなった。水とかポカリとかお茶しか飲めなくなって一週間が経ち、めちゃくちゃに痩せた。大変だったけど体調はつねに因果応報なので受け入れながら、地獄のような二週間を過ごしていた。こういうときヘルプ出せるような人いたらいいなあと思ったけど、ひとりのほうが楽だなというのが頭の中をぐるぐるとしていた。

復帰できたのが先週くらいからだけど、ほんのちょっと歩くだけで信じられないくらい息切れして、30歳くらい老けた気分だった。驚いた。今になっては戻ってきて、活発だった時くらいになってきた。

遊びたくて仕方がなかったので、金曜日から昨日まで散々に遊んだ。すごく久しぶりに感じて、帰りたくなくて、昨晩22時くらいまで不忍池にいてケンタッキーを食べていた。ボリュームがすごかったけど、なんか学生気分に戻れて全部がよかった。自分の中から失くしたものはあったけど、それを埋めるために、延命するためにまた新しい楽しさを探している。

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何人かにびっくりされるくらい衝動に生きて、目の隈を作りながら遊んで、それでも辞めずに今もやっている。

20歳くらいの頃から、今の@nekondaraアカウントを最初から見てくれてる人ももしかすると覚えてるかも程度だけど、5年くらい前からずーっと詰まらなさとか生活辞めたいとかそういう話をしている。5年間言い続けてるのだから、これを頑張る方向に転換することなんてないんだろうなって思っている。常に生き地獄なはずで、ハマれるものもなく、自らを救うこともできないわけだけど、たまたま自分は面白いことを言う人間らしくその部分だけで生き残ってきた。

最初は「病んでる」とかそういう簡単な言葉に収めてきたんだけど、ぼくからすれば何十年も自分が生きていくという意思が余程狂気に満ちていて、果てしなさに、途方もなさに耐えられなくなる。

辛苦に満ちた途方もなさは、過剰な行動か、思想的な変化によってしか解消されない。ぼくは過剰さに走った、もうこれも昔からの癖だ。今でこそようやく両親と話せるようになったが、実家に居た時の病的な空気感から逃げるために何もないのに東京に来た。社会性を得て身体はどこかに落ち着こうとしても、精神はつねに遠くにいきたがる。「どこか遠くへ行きたい」というのは、身体性の問題ではなく、魂の問題なんだろう。魂に刻まれたような呪いは、場所替えのような一時的なもの程度では解消されない。思い切り、全部違うものになってしまわないといけない。それを認めるかとか、自分の強度が足りるかとかそういう話はある、残酷な話でもある。

過剰さに逃れていると、他の方法を失う。ぼーっとできなくなってくる。自分を追い込むほどに、途方もなさや苦さが追いかけてくるようで、ますます増長させる。どこかで立ち止まれる場所があればいいなあ。

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最近ハマってる曲のシェア。ぼくは音楽に救われたりしてないので、いろんな音楽のことは知らないけど、たまにすごくハマったりする。

「うおおおぉ!」ってなる、nekondaraに勧められそうな音楽あればご紹介ください

1. Yuto.com™&Kiwy「時雨の記 feat.呂布カルマ,MOL53,鬼,HIDADDY/平石佳啓」

www.youtube.com

2. 町から街 feat. JAKE (Prod. Yuto.com™ & Kiwy) / 阿修羅

www.youtube.com

3. GADORO「幸せ」(Prod. by PENTAXX.B.F)

www.youtube.com

4. ZORN/Walk This Way feat.AKLO [Pro.dubby bunny/Dir.Takuto Shimpo] 

www.youtube.com

いつのまにか救われていたもの、自分では気づけないこと

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書いたり、消したり、また書いたり

書きたいことはおぼろげに頭に浮かぶんだけど、それを地に卸すための形がなかった。形がないっていうことは記憶に残らないということで、時間は経ちおぼろげなイメージはきっとまだ残っているにもかかわらず、自分の記憶からは遠ざかっていく。そんなイメージ。

文章を書くときは、かならず「タイトル」「本文」の順で一発書き。推敲もしないから誤字脱字もまあ多い、でもその書き方じゃないと自分は書くことができなくて、いちばんよく感情が乗っかっているような気がする。自分の書きたいことはまずイメージが掴めている。いや、今はこういう話をしたいわけではない。

文章を書くこと自体の抵抗はずっとないままやってこれて、ほんの少しくらい、言葉とか、言い方とか、表現を大事にしながらやってきた。肌なじみの良い言葉、そういうものさらさらと書いてきて、書いたらそのまま公開、自分に書けないようなことなんてあんまりないんじゃないかと鼻高になっていた、というかそういう興味を持っていたり触り心地の良いことを自分に纏わせていたから、書くことに困るっていうのは遠い感覚のままだった。

それがだんだんと変わっていて、書いては消して書いては消してが続くようになってきた。こんな経験はかなり久しく、だんだん退化しているようにさえ思えてくる。それは自分がいままでと異なる環境や関係の中にい始めているという証拠でもあって、そういう新しい生活もだんだんと自分の中に溶け込んでいる。

言葉にするという弱さ

社会人として働くまで、ずいぶんと沢山の言葉を費やしてきた。たいていは取るに足らないことで、「生きる」とか「努力」とか「恋愛」とか「思考」とか、そういう路線だったと思う。取るに足らないっていうのは、そういうトピックに対しての自己弁明に文字を費やしてきて、言葉にするのが解決と思い込んできたからだった。頭の中だけでこねくり回して、難しくして、満足感だけを与えて自身のなかにある重りを降ろしたりはしない。まるで自分から罰を受けに行っているようにさえ思う。自分の不幸さを叫んでいるのに、助けを求めるわけではなく、ただただ混沌へと溺れる。きっと、外の人から見ればいろんな手段によって少しずつよくなれるだろうのに、肥大化しすぎた自己弁明や否定される前のめりな言葉たちは更なる沼へと誘いこんでいく。

考え方や、解釈が後ろ向きなひとは、もうどんな言葉を使ったとしても後ろ向きになる。自身はきっとそれを当然の帰結と言わんばかりの顔をしているだろうが、録音して昔の自分に聞かせてやりたい。お前めっちゃ後ろ向きやぞ、と。今ごろになって振り返ってみれば、自分に必要なのはもっと単純な、何も言っていないような短い言葉、考えることを不要とするようなことばだったのかもしれない。

たくさんの言葉を費やすことよりも、多くを語らずに自分のなかにとどめておくような、いやもしかすると誰かの幸せそうな姿を見て自分の在り方を見つめなおしたりするのもよかったのかもしれない。

以前、自分がある先生にこんなDMを送っていた。2018年の事になる。3年も前のことだが、変わってなさ過ぎて少し笑ってしまう。
※若干の改変を入れてます

機械になりたいと思います。
例の青年が、過労死が一つの理想だと言っていました。私もそう思います。 おそらく、折り合いをつけることに限界を感じているのだと思います。他人は簡単には変えられない、変数的な他人より、多少は認知可能な自分自身を殺して、機械のように生きる方が楽なのです。それが、ある意味幸せなんだと思います。 希望を持ちたかった、けれど、あまりにも目の前の現実に圧倒され、生き延びる選択肢をどんどん手放している気がします。また、元気な時は元気だというのが、よりそういった負のエリアを加速させているような気さえします。 嘆いてもどうにもならない、自分の手足を動かすことでしか、これから先のリアルを変えることはできない。自分への期待はない、諦念ばかりで、未来を描く事さえおこがましい。だから、死ぬ準備を始めました。うまくいかないかもしれませんが、消えてしまいたいと思いました。

みんなと、同じ話ができない、みんなは私とは違う話ばかりするものです、気持ちがついていかない。 それをこれからずっと続けるのかもしれないと思うと、あまりに苦しすぎる。逃げたいと思いました。 けれど、そんな中、たまたま本屋で先生の本を手に取りました。手に取った自分が少し情けなくなりました、死ぬ決意を持っていた人間が、結局希望を捨てられない、まだ縋りたい(かといって何をすればいいかはわかりませんが)、そんなテキトーさなんだなと。 先生に見て欲しかったのは、もしかしたら、私のような人間を多く見ていてそうした人間が「マシに生きていける」ヒケツがあるのかもしれないと思ったからかもしれません、あるいはただ見て欲しかった、少しだけ死ぬことを留めさせてくれた先生の著書への自分なりの感謝を言いたかったのかもしれません。 まだ、多分死ねないと思います、死ぬ事さえシンプルにいかない自分なので、何かに惑わされているのだと思います。

足りなかったものを少しずつ手に入れた

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はい可愛い

 

以前、『誰かを見つめる感情は、以前の自分を投影しまう』というタイトルでブログを書いたことがある。今は非公開になっていて読めないんだけれど、そこでメイド喫茶の話をしていた。

ぼくが最初にメイド喫茶という文化を目にしたのは20歳のころ、ある店で妖精(メイド喫茶でのキッチンのひとをそう呼ぶ風習がある)をやっていたことだった。当時は自分のことで精いっぱいで、あんまり余裕がなかった気がする。多くの記憶はないんだけれど、一番衝撃だったのはメイド喫茶という場所で働きたい子たちがこれほどいるんだということだった。一種のアンダーグラウンド、表舞台ではないその場所で働く彼女らは当時の自分にはあまりに異様だった。あの頃のぼくができたのは、精々ひとりの人間として働いている彼女らを見ようとするくらいで、メイドとしての楽しさや、苦労や、そういう話を理解できるほどの状態ではなかった。結論から言えば、あの頃はただその場所にいただけだった。

それから6年ほど経った今、またこうしてメイド喫茶という場所に足を踏み入れた。今でもどうしてこうなっているのかが不思議でならない。異様だと感じたあの頃以来、どこにも足を踏み入れず、メイド喫茶の立ち並ぶ場所には一度も立ち寄らなかった。記憶からも薄れていき、そのまま記憶丸ごと失われていっていたのかもしれない。

きっかけは些細なことだった。久しぶりに足を踏み入れた場所は深いノスタルジーを与えてきた。ほんの少しだけ居たあの頃のうっすらとした記憶、立ち入った場所もその頃と同じ匂いがした。その場所にあるのは、変身したいという欲望をメイドとして昇華し、楽しそう働いている彼女らの姿だった。表の世界とは違う姿、違う自分、違う名前、何もかもが違うその場所は夢の中へいざなう。ぼくは夢の中の世界を、ちょっとずつ自分の中に手に入れた。

おもて面、実名、自分としての自分を使っていたぼくとは真逆の世界。数年ぶりに足を踏み入れた頃、目は死んでいたらしい。けれど、数か月の間に何度も足を踏み入れている間に目に光が宿ったと言われた。ぜんぶ自分の事なのだけど、何も自覚できないまま周りの人たちによって自分が語られていく。そういうことばを信じながら、メイド喫茶によって自分がどんなふうになっていったのかをよく考える。けれど、写真も載せている彼女が一番最初に語り掛けてくれなければ、今とはまた違った世界にいたかもしれない。その世界ではたぶん、メイド喫茶という文化に足を踏み入れることも少なく、また段々とフェードアウトしていただろうと思っている。彼女、彼女らのどんな語らいで自分が変わってきているのかはわからない。でも、最近に会うときはいつも「ありがとう」という気持ちがある。自分がもう少しでも誰かの気持ちを汲み取れるようになってきたら、彼女らに多く還元していきたい。

あたらしい言葉、今まで避けてきたものを使う

「目に光があるよ、あの頃は死んでたけど」と言われる前くらいから、なるべく感情は言い切るようにし始めた。きっと求められている言葉を投げようと思った。

言うのも抵抗があり、滅多に言ってこなかった言葉たち。「推し」とか、「好き」とか、「可愛い」とか、「ありがとう」とか、「ニコニコ」とかそういう短い言葉たち。意図的にそういうものを避けてきた、余計にぐちゃぐちゃと考えてしまって言葉を発するのが難しい。冒頭に書いた言葉にならなさっていうのは、この短い言葉を使うことによる副作用だと思っている。

伝わりやすい言葉は濃度が高すぎて自分までケガをしそうになる。そういう恥ずかしさとか、自我みたいなものを置いて語る様にし始めた。そんな言葉たちを使う時は冷静じゃないから何も見えていないかもしれないけれど、喜んでもらえるような気がする。わかりやすい形で表現が返って来て自分も嬉しくなってくる。近い距離で、自分に対して喜ばしいものが返ってくる、そういったミニマムな応酬がぼくには丁度良いサイズ。

これもまた新しいこととして、写真を撮るようにした。また自分の写真も撮ったり、撮ってもらうようにしはじめた。これも「ほんとうは自分の手で誰かを綺麗に残したい」という気持ちはあれど、行動をずっと渋っていたことだった。ぼくは人の笑顔が本当に大好きで、その瞬間だけ、刹那すべてがその笑顔への喜びに変わる。そうした瞬間を残したくて、撮らせてくれる人と、自分が撮るという気概があれば、色んなところで誰かの写真を残したいって思いがある。内内に秘めて、ずっと出していないこと。下手でも優しく被写体になってくれる人いないだろうか。ぼくは田舎が好きで、その田舎の風景に非日常的に写る人がなんとなく頭にある。

それはそれとし、メイド喫茶でチェキを撮るようになった。しっかりとポーズをとられたメイドさんへシャッターを切る緊張が本当にすごい。まだ数度しか撮っていないけれど、ぜんぜん慣れる気がしない。でも、あの幸福な瞬間を切り取るというのは撮っている自分と、撮られてくれるメイドさんとの無言の関係があらわれているようで全部好きだ。こちらの緊張は相手の緊張を生むし、こちらの笑いかけは相手の緊張をほぐすことができる、写真深い。書いていると、この感覚は慣れたくないなと、いっときを大事にしたいなと考えが動いてきた。

少しずつだけど、避けてきたことをやり始めている。

自分自身のこころみ

 なにかが特筆してできるわじゃないけれど、会社から出る準備を整え始めた。こればっかりは、今年がはじまってから今に至るまでのイベントが全てこの通りでないと起こらなかったと思う。天才になりたかった、何者かになりたかった、なにか優れているところがひとつでも欲しかった。

そんなもの無かったけれど、丁寧に自分のやっていきたいことを言葉にし始めている。ヘタクソだけれど、形を残そうとしている。明日死んでもいいように、出来る限り手を付けられることは今日やる。ほんの少しそう決意したら、さんざん残していたこの記事も手に付けられた。

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大変だろうけど、ずっと応援しています

染みついた癖、切り離せない思い出、嫌いだったものを好きになる

2021年4月17日、9時01分

仕事があり中野へやってきた、朝からやっている喫茶店を探していたら、もっとも近い喫煙できる喫茶店のPukariというお店へやってきた。

 

pukari.business.site

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一応という程度に煙草を嗜むことがあって、月に精々10本も吸えば多いほう。吸わないときはも何か月も吸わなかったりする。紙煙草だったときはPeaceのロング一択だったけど、前職でスーツ姿で営業しているときに自分のスーツに煙草のにおいをつけたくたいということでiQOSにしてしまった。特別なときや、相手が愛煙家のときは紙煙草を吸うことがある。

誰かと一緒にいるときは相手が喫煙者か余程気が知れている友人で吸っても大丈夫な人でないと吸わない、喫煙所にも行かない。その程度の感覚。いつでも辞められると思うけれど、辞めるに積極的な理由はない。

自分の喫煙歴を遡ると、一人暮らしをし始めた町田のころに遡る。ぼくは4人家族で、両親と10歳離れた兄がいる。実家にいたころ、ぼくを除いて3人はスモーカー、煙たい実家だった。覚えているのは、父親と兄はセブンスターを吸っていたこと。実家にいる間は一度も煙草を吸ったことはなく、吸ってみようとも思わなかった。

町田に出たころ、当時付き合っていた彼女の影響で煙草を吸い始めた。よく覚えているのは、当時住んでいた1階のワンルーム、そのベランダだった。吸ってみようということになり、ドン・キホーテで灰皿を買い、エアコンの室外機の上に置いていた。銘柄はメビウスだった気がする、細い煙草でカプセルが入っていた気がする。

そういえば町田にいたころエアコンを謎の中国人に盗まれたことがあるんだけど、その盗まれたということに気づくことができたのはベランダにある室外機の上に置いている灰皿が床に置いてあったからだった(室外機ごと奪われた)。室内のエアコンが消えたことに気づくことなく、ベランダの灰皿で初めて気づいた。

初めての煙草を体験して、影響を受けた彼女と同じ見え方に近づきたくて、たくさんの煙草を吸った。メビウスだったり、マルボロだったり、ちょっと甘い煙草が多かったような気がする。美味しいとか、ハマったとか、そういう感覚はなくただ近づきたくて吸い続けていた。彼女とは家か、居酒屋でしか吸わなかった。喫煙所では吸わず、歩きながら吸ったりもしない。そういう癖がいつの間にか自分のものになっていた。

自分の癖や、考え方は、そういう過去から来ている。

 

去年の年末からハイボールが飲めるようになった。それまでウイスキーはまったく飲めずだった。ちなみに焼酎は今でもまったくダメ。ハイボールという存在は、お酒を飲めるようになって5年間ずっと認識していたものの、チャレンジのたびに全く口に合わずすっかり飲まなくなってしまった。

そんな中、去年の年末に前職の上司と食事に行くことがあり、美味いぞと言われ白州ハイボールを飲んでみたところ、本当においしくてびっくりした。その体験をしてからは、なぜかハイボールが飲めるようになり、少しずつウイスキーも飲めるようになってきた。

勧めてきた元上司は前職で自分をリクルートしてくれた人間で、ぼくとノリや考え方が近くて、上司だったけれど今でも仲いい友達のようになっている。そういう彼に言われれば、たいていの事はやってしまう。

少し大きな決断や、判断のとき、いつも選択を突き動かすのは過去の誰かだった。きっとこれからも誰かに突き動かされるんだろう。そういう突き動かしてくれる人、いつも待っているのかもしれない。

自分の見ていたい世界

すごく触発された文章に出会うことができたので、忘れないように覚書を残しておきたい。

むかしのこと

十代後半の頃から「自己同一性」というものに取り憑かれていた。ある種の狂気であるともいえるけど、自分と言うメンタリティをある軸において一本線で考え続けてきたのであった。過去から現在という流れをのなかで、自分と言う個人を軸にして考えざるを得ない。なんとなく決められたルートがあり、気づいたときには外に踏み出す勇気も出ない自分がいた。あの頃に植え付けられたものは、どこかの誰かが積み重ねた常識と呼ばれるような塵の山で「人間ならば、」「若者ならば、」「男ならば、」という枕詞に呼応する術語が刷り込まれていったのであった。そういう固定観念みたいなものは、家出をしたと同時に一気に不快な感情として湧き上がってくるようになった。

井の中の蛙大海を知らずとはよく言ったもので、多感な青年時代なんて精神的接触の多い両親の影響を大きく受けるんだって、家を飛び出てからわかったのだった。外で味わったのは、まったく違う人間たちばかりで、ゆるふわ温室育ちの自分には刺激があまりに強かった。自分にできたのは、好きだとか嫌いだとか、固いとかやわらかいとか、ただ単純な要素ばかりだった。当時のぼくには、具合だとか、グラデーションを感じられるようなこころはなく、ものすごく単純に割り切って考えていたような気がする。

 

アイデンティティってなんだ?

家出して下界に放り出されたころ、いろんな感情に苛まれた気がする。印象深いことしか覚えてないからこれしか言えないけど、両親への有難さは当時イチミリも感じなかった。代わりに途轍もない開放感があって、そして沼のような地面に自分を乗っ取られそうになってしまった。

ぼくは一体何者なんだろう

この感覚がずーっと自分を呪いのように張り付いていた。褒められるような立派な人間にならなきゃいけない、安定を求めて正社員になっていなければならない、結婚をしローンを組み家を買い家族を持たなければならない、他にもいろいろあったが自分にあったのは「自分が何者であるか」という問いの答えではなく、反復的に刷り込まれた当時の常識だった。その事実がとても恐ろしかった。

今でもそれは解決したわけではないし、数々の処方箋を投薬しながら生き延びているわけだけど、「自分が何者であるか」ということを疑念に思ってしまうそもそもについて考えるようになっていった。学生という自分、アルバイターという自分、社会人としての自分、男性としての自分、誰かの友人としての自分、誰かの恋人としての自分、誰かの子としての自分、それぞれ違う関わり方をしているはずなのに、どうして「自分が何者であるか」という事に取り憑かれているのだろうか。

「自分が何者であるか」というアイデンティティーはIDカードであり、その人を証明する社会的方法である。そうでありつつも、個人を縛る共同幻想でもある。周りのいろんなシステムは複雑になっていくが、残念ながら人間の見方や考え方、癖と言うものはものは数千年前からあまり変わっていないらしい

要は、だれかがこちら側のアイデンティティーを指図したがるようにぼくなんぞには見えてると言うことだ。ぼくはたぶんこういう空気感というか、不条理さに苦しめられたのかなあと思い出しながら書いている。誰は昔あれこれしたらしいとか、こいつはこんなことを言うやつだとか、この人はほかにこんなことをやってるみたいだとか、事実そういうものがあったとしてそれを言わずにいられない人たちは"今の"自分とは折が合わないなと感じている。ある種のエンターテイメントのような、いやもしかすると過剰な干渉のようなものをせざる得ないといのはいろんな人を自分の消費活動の一種に捉えているのかな、なんて思う。

 

自分の区切った世界で、世界を見ている

 大人になってから一番役に立った話は、人間は都合よく世界を解釈しているっていう話だった。現象というのは単一で、そこからいろんな世界観や知覚を通して各々の解釈がされる。当然、そうなってはいけない部分は法や文書が定めたりしているけど、日常という世界のなかではたいてい各々の解釈によって世界は構成されているというのはぼくにとって衝撃的だった(もしかしてみんなは知っていたんだろうか)。

そのあたりに関わる話としては市川浩(身分け構造)とか、丸山圭三郎(言分け構造)とか、そのあたり包括して話していた栗本慎一郎鉄の処女)とか井筒俊彦(意味の深みへ)とかがあった気がする。

 

       

 

色んな解釈が存在する世界で少なくとも自分が優しくあろうと思ったときには、そういういろんな形の人たち、いろんな側面をもった人たちに対して、包括的に関わっていきたい。欲を言うならば、よりもっと個々として付き合っていきたいなと思っている。

つい先日友達に、ぼくがどんな重罪を犯したところで嫌いにならないよという話を受けてその懐の広さに感激してしまった。ぼくは相手がどんな裏や、思想や、考え方を持っていたとしても、仮に知っていたとしても、目の前の良く知るその相手のことを受け入れていたい。

そんなことを思いながら、眠い目をこすって書いていた。

 

P.S. 余談だけどネットワークビジネスにハマって未だに勧誘してくる幼馴染のKくん。実害が及んでるのでやめてね。